「ツレがうつになりまして。」は、私自身が、夫がうつ病の渦中の時に読み力をもらった一冊です。 当時の私は笑顔を忘れ、笑える状況ではなかったにもかかわらず、 思わず「ぷっぷぷぷ」と笑っていたのです。
奇跡的なご縁があり今回、原作者の細川貂々氏にインタビューする機会をいただくことができました。心より感謝申し上げます。
1.家族への声かけ
うつ病の方を支えている家族の方に何と言って声かけをしたら良いでしょうか。うつ病の方はどんなことを言われるのが嬉しくて前向きになって貰えるのかお考えをお聞かせください。

「CMでうつは病気です」と言われていた時代、人に言わなかった時代だったと思います。
(参考:2006年に始めて抗うつ薬を販売する製薬会社が提供するうつ啓発用のCMがテレビや新聞を通して流されました。)
(あれから)10年以上が経ちましたが、うつ病の方への、またその家族の方への声のかけかたや接しかたについてどう思われますか?

家族の方には、「大変ですね。頑張っていますね。」ということぐらいしか……言えないかもしれませんね。
2.第三者からの気遣い
よく『頑張ってね』とは一番掛けてはいけない言葉と言われます。誰か影響力のある人の「鬱の人に『頑張れ』と言っちゃいけない」という言葉が浸透しているように感じます。第三者はどうやって気を遣うと良いのかお考えをお聞かせください。



うつ病だからと特別に気を遣うのはうつ病の方も望んでいないのかもしれませんね。

うちは(うつ病の渦中の時)黒い物体が寝ている状態で、仕事に行けなかった人なので、うつ病でも仕事に行ける人もいるのに「なんで仕事に行ってくれないのだろう」と考えていました。夫からは「骨折している人に走れというのか」とも言われました。黒いオーラはあるものの身体的には悪いところはない(ようにみえる)ので「なんで(仕事に)いけないの」と思ってしまって……。結局自分が夫にかける言葉が無かった感じなのですが。ツレさんがマンガで斜線があったような暗いときにどう(対応)されていましたか?


当時私は専業主婦だったので「あなたが仕事に行かなかったら(生活は)どうなるの!」という思いがあり、ほったらかしに出来なかったです。




そっとしておいてそのままにできたら……その通りですよね。
当時の私は、そっとしておいてそのままにできる余裕が無かったと思うんですよね。
貂々さんは焦る気持ちは無かったのですか?


3.寛解に向かって
「このままでいいよ。ずっとふたりでのんびり生きていこうよ」といったあとに、寛解されたと読みました。カタチの見えず、私にとっては掴みどころのない経験である寛解されたときのことを、貂々さんが見て感じたこと、「ツレさん」が感じていたことをお聞かせください。

この言葉をかけた後から寛解されたと書かれています。うちも寛解したとは思うのですが劇的に変わったわけではなく、出来ることが増えていったと言うか、やれることが増えていき普通の人間に戻っていったと私はそう感じるのですが、貂々さんが(ツレさんが)「寛解したなぁ。」と思うエピソードや感じたことを教えていただけますか。





4.うつ病渦中にしてほしかったこと
「ツレさん」にも話を聞いてくださっていると伺いました。ありがとうございます。「ツレさん」がうつ病の渦中「これは良かった。これはありがたいけど当時の自分には合っていなかった、実はこうして欲しかった」と感じていたことがありましたらお聞かせください。








今回、細川貂々氏に「うつの方との関わり」についてお話を伺いました。
「そっとしておく」、「二人で生きるという覚悟」という言葉が印象的でした簡単なようですが、「言うは易く行うは難し」です。なにごとも口で言うだけなら簡単ですが、実行するのは難しく、当時の私にはできませんでした。
全体を通し、相手を理解して関わる意識が大切だと実感できたインタビューでした。お忙しい中、貴重なお話をお聞かせくださり重ねて感謝申し上げます。