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2022.2.5 細川貂々さんインタビュー

「ツレがうつになりまして。」は、私自身が、夫がうつ病の渦中の時に読み力をもらった一冊です。 当時の私は笑顔を忘れ、笑える状況ではなかったにもかかわらず、 思わず「ぷっぷぷぷ」と笑っていたのです。
奇跡的なご縁があり今回、原作者の細川貂々氏にインタビューする機会をいただくことができました。心より感謝申し上げます。

1.家族への声かけ

うつ病の方を支えている家族の方に何と言って声かけをしたら良いでしょうか。うつ病の方はどんなことを言われるのが嬉しくて前向きになって貰えるのかお考えをお聞かせください。

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鎌田
私の夫がうつ病になったとき(2006年)はうつ病は隠す時代でした。(と私は思っていました。)
「CMでうつは病気です」と言われていた時代、人に言わなかった時代だったと思います。
(参考:2006年に始めて抗うつ薬を販売する製薬会社が提供するうつ啓発用のCMがテレビや新聞を通して流されました。)
(あれから)10年以上が経ちましたが、うつ病の方への、またその家族の方への声のかけかたや接しかたについてどう思われますか?
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貂々さん
確かに、家族にうつ病の方がいることを隠す人は多いかもしれません。けれども、私の場合は、隠すと私自身が苦しいと感じ、周りには、夫がうつ病になったことを伝えていました。「助けてください」と。
家族の方には、「大変ですね。頑張っていますね。」ということぐらいしか……言えないかもしれませんね。

2.第三者からの気遣い

よく『頑張ってね』とは一番掛けてはいけない言葉と言われます。誰か影響力のある人の「鬱の人に『頑張れ』と言っちゃいけない」という言葉が浸透しているように感じます。第三者はどうやって気を遣うと良いのかお考えをお聞かせください。

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貂々さん
うつ病は、他の病気と苦しいという意味では変わらない一面もあるのではないでしょうか。誰もが罹る可能性のある病気です。うつ病とは別の病気で苦しんでいる方と、同じように関わるやり方もありえるのかもしません。特別扱いをしてしまうと、苦しんでいる本人にとっても逆に苦痛に感じることがあるかもしれないですね。
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鎌田
精神疾患は、(目で)見えないから、一見症状が良さそうでも、実は良くないのではないかと考えしまうのかもしれないですよね。
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貂々さん
病気ではない方でも気持ちの浮き沈みの激しい方がいます。落ち込みやすい方もいます。もしかして、薬を服用しているか、していないかの違いだけかもしれません。
うつ病だからと特別に気を遣うのはうつ病の方も望んでいないのかもしれませんね。
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鎌田
確かに。そうですよね。
うちは(うつ病の渦中の時)黒い物体が寝ている状態で、仕事に行けなかった人なので、うつ病でも仕事に行ける人もいるのに「なんで仕事に行ってくれないのだろう」と考えていました。夫からは「骨折している人に走れというのか」とも言われました。黒いオーラはあるものの身体的には悪いところはない(ようにみえる)ので「なんで(仕事に)いけないの」と思ってしまって……。結局自分が夫にかける言葉が無かった感じなのですが。ツレさんがマンガで斜線があったような暗いときにどう(対応)されていましたか?
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貂々さん
何も声を掛けられなかったです……。うつ病の方は自分のことで精一杯だと思います。声を掛けられるより、もしかして、そっとしておいたほうがいいと思い、そうしたこともあります。
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鎌田
(貂々さんが)何もしないで、そっとしておいたということが私にとってはすごいと思うんですよ。
当時私は専業主婦だったので「あなたが仕事に行かなかったら(生活は)どうなるの!」という思いがあり、ほったらかしに出来なかったです。
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貂々さん
私もあの時収入が無かったので……。その気持ち分かります。
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鎌田
私は、だめでした(そっとしておくことが出来なかった)。気が焦り「(仕事に)行けるんじゃないの、何でそうなっちゃったの」という感じでした。
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貂々さん
最初は誰でもそうなるかもしれませんね。
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鎌田
(うつ病のはじまりは)うちは、仕事に行こうとして玄関から出られなくなったんです。「ごめん、この扉が開けられない。」と言われて。それで病院に行き一週間後には入院と言われ半年ほど入院していました、それにもかかわらず「早く仕事にいって早く仕事にいって早く復帰して」と言っていました。休職から1年後に復帰しましたが、復帰後3か月後に再発しました。
そっとしておいてそのままにできたら……その通りですよね。
当時の私は、そっとしておいてそのままにできる余裕が無かったと思うんですよね。
貂々さんは焦る気持ちは無かったのですか?
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貂々さん
同じです。焦りましたよ。でも、途中から、二人で落ち込んでもしょうがないと思って……。難しかったですが、私だけでも落ち込まないよう、暗くならないようにプラス思考になるようにしました。そうすると相手も安心するように感じました。
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鎌田
私は、一緒になって暗い渦に巻き込まれて、暗くなっていました。

3.寛解に向かって

「このままでいいよ。ずっとふたりでのんびり生きていこうよ」といったあとに、寛解されたと読みました。カタチの見えず、私にとっては掴みどころのない経験である寛解されたときのことを、貂々さんが見て感じたこと、「ツレさん」が感じていたことをお聞かせください。

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鎌田
この言葉を(私は)言いたかったけれど言えなかったです。
この言葉をかけた後から寛解されたと書かれています。うちも寛解したとは思うのですが劇的に変わったわけではなく、出来ることが増えていったと言うか、やれることが増えていき普通の人間に戻っていったと私はそう感じるのですが、貂々さんが(ツレさんが)「寛解したなぁ。」と思うエピソードや感じたことを教えていただけますか。
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貂々さん
そうですね。劇的に変わるわけではないです。二人で毎日少しずつよくなるという心構えで生きていく。二人で共に歳を取って生きていくという心構えをずっと積み重ねるしかないのかもしれません。私は当時もう子供は無理だろうと思っていました。子供のいない生活を二人で続けていく。そうして共に老いていく。そういう生活を二人でずっと続けていくしかないと考えていました。そのことをきちんと自覚して受入れていきました。そういう積み重ねがありました。やがて、そういう二人で生きるという覚悟へと少しずつ切り替えていったらいつの間にか寛解していたという感じです。
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鎌田
(寛解した)いまでも(私の夫は)爆弾をもっていると思っています。
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貂々さん
台風が来るとダメですね。遠いところの台風でも体がだるくなるみたいです。辛いと言っていますね。
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鎌田
(台風が来ると調子が悪くなると)わかるから自分で調整できるという感じですか?
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貂々さん
はい。そうかもしれませんね。

4.うつ病渦中にしてほしかったこと

「ツレさん」にも話を聞いてくださっていると伺いました。ありがとうございます。「ツレさん」がうつ病の渦中「これは良かった。これはありがたいけど当時の自分には合っていなかった、実はこうして欲しかった」と感じていたことがありましたらお聞かせください。

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貂々さん
うつ病の渦中のときに、これは良かったということはないと言っていますね。何をしてくれても心に届かなかったと。だから、もしかして良いことがあったかもしれないけれどあまり覚えていないと言っていました。
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鎌田
そのとき貂々さんは、そういう風に(鬱陶しいと感じていると)感じましたか?
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貂々さん
感じていたかもしれませんね。だから、そっとしておいてそのままにしていたのかもしれません。
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鎌田
確かに。そうですよね。
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貂々さん
そのままにしてくれて良かったと言っていたこともあります。
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鎌田
ツレさんの生活リズムで過ごされていて、浮き沈みはあるけれどそれに対しては、一喜一憂しなくなって「そんなときだよね。」と感じて関わりを持っていた感じですか?
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貂々さん
はい。そうですね。
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鎌田
意外にそう(そっとしておいてそのままに)できないですよね。私ができなかったのですが。

今回、細川貂々氏に「うつの方との関わり」についてお話を伺いました。
「そっとしておく」、「二人で生きるという覚悟」という言葉が印象的でした簡単なようですが、「言うは易く行うは難し」です。なにごとも口で言うだけなら簡単ですが、実行するのは難しく、当時の私にはできませんでした。
全体を通し、相手を理解して関わる意識が大切だと実感できたインタビューでした。お忙しい中、貴重なお話をお聞かせくださり重ねて感謝申し上げます。